川崎先生、奥様、本当にこれまでありがとうございました

鎌田政博
Masahiro Kamada

広島市立広島市民病院循環器小児科
主任部長
日本川崎病学会 運営委員

川崎病:1998年、メルボルンにいた時、川崎病の患者が入院してきた。皆Kawasakiと呼んでいたが、日本ではMCLSだった。当たり前の様に疑問が浮かんだ。外国でKawasaki diseaseと呼んでいる疾患を、なぜ日本人が川崎病と言わないのか? 以後、MCLSという言葉を使ったことは一度もない。

広島川崎病研究会:メルボルンから帰国後ひと月で広島に赴任となった。そこで川崎病研究会を立ち上げたのが2006年。そして、2007年から第11回まで10年間、川崎先生には遠い広島までお越し頂いた。最初の年には当院の小児科病棟にも立ち寄っていただいた。その時に書いていただいた色紙は私の座右の銘である。

イラクから:2013年4月、NPO法人のサポートでイラクから留学生がやって来た。とても優秀で、今、イラクで重要なポストに就いている。日本での一番の思い出は、広島川崎病研究会で川崎先生にお会いできたこと。今年6月12日、彼のFacebookには川崎先生が亡くなられたことを悼む文と、川崎先生と一緒の写真が載せられていた。

若い小児科医たち:情報交換会では、押し寄せてくる若い小児科医一人一人に丁寧に話をしてくださった。川崎先生と言葉を交わした短い時間、川崎先生と一緒の写真が、彼ら彼女らの小児科医としてのモチベーションを上げたと思う。少なくとも私にはそう見えた。私自身がそうであったから。

宮島:研究会翌日、宮島に2度ご一緒させていただいた。二日共に快晴で青い空・海に朱塗りの鳥居が奇麗だった。道々、寄ってくる鹿を易しい目で見られ(奥様はこっちへ来ないでと杖でブロック (笑))、撮影スポットの灯篭横で写真を撮った。大願寺に立ち寄り、昼食は「大たに」でいただいた。先生は牡蠣フライ、奥様は焼き牡蠣で、殻からはみ出しそうな牡蠣を「ウワー美味しそう」と食べておられた声が今も耳に残っている。

オオルリオビアゲハ:川崎先生、奥様とは色々な話をさせていただいた。川崎病のこと、広島のこと、父のこと、そしてお酒、趣味についてなど。その中で小さい頃から蝶が好きで、父にせがんで何度も山に昆虫採取に連れて行ってもらったこともお話しした。ある日、小包が届いた。開けてみるとオオルリオビアゲハの標本が包まれていた。「外国からいただいたものだけど、蝶が好きだと聞いていたので」と送ってくださったものだった。黒地に緑のストライプ。美しいオオルリオビアゲハは私の宝物になり、机の前で輝いている。

定年:川崎先生、私も後少しで定年です。川崎病と接する機会はどうしても減ると思います。でも先生に教えていただいたことを胸に、これからの診療に携わっていきます。

川崎先生、奥様、本当にこれまでありがとうございました。

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