川崎先生の思い出

鈴木淳子
Atsuko Suzuki

東京逓信病院 小児科
前部長:現在 嘱託医
日本川崎病研究センター 前理事

世界的に有名な川崎先生がコロナの自粛の真っただ中、お見送りは少人数に制限されひっそりと逝かれれた。おりしもコロナの重症小児例が川崎病様症状を呈することが世界中のマスコミに取り上げている最中であった。

川崎先生は臨床を教えるときは、とても厳しいと聞いているが、私がご一緒させてもらったのは、学会や講演会、その後の観光旅行や宴会、患者さんの診察,ご家族の中では夫と父親として、どこまでも朗らかでお優しい先生でした。

先生は、私の上司の国立循環器病センターの神谷部長と親交厚く、神谷先生の時間や身分、立場を気にせず、思う存分討論し合う仕事への情熱をたいそう気に入られておられた。私に「あなたは最高の上司に恵まれて幸せだ」とよく言われた。神谷先生亡き後は、私を中国、イタリア、シベリアなどの講演旅行に招いてくださり、私は冠動脈後遺症の講演を受け持ち、各国で壮大な招待の宴や特別観光など、夢のような栄光のお相伴をさせて頂いた。

生粋の江戸っ子の先生は、神田の藪ぞば、駒形のドジョウ、浅草の大黒屋の黒い天丼など江戸の味を会の後など皆に教えてくださった。私が錦糸町の銀座つばめグリルに呼ばれたときは、奥様のご誕生日や次女のつぶらさんの帰国パーテイで御一家が揃っておられた。今にして思えば、夫を亡くして激痩せしていた私を気遣ってくださっていたのではないかと思われる。

先生は外堀公園がお好きで、市ヶ谷から公園の末端に位置する東京逓信病院に散歩がてら、外国の川崎病冠動脈障害の患者さんの相談に、しばしば立ち寄られた。小児科外来は時ならぬ有名人の出現に、若手医師や看護師達がわっと喜び活気づいた。

私の定年退職パーテイでは、「上手かどうかではなく、新しいことに挑戦することに意義がある年齢なんだよ」と習い始めた歌の披露を勇気づけてくださった。奥様は踊りだされ、おふたりのお嬢さんたちが慌てて止めにかかられたが、私はとても嬉しかった。今も新しいことへの挑戦を心掛けている。

歴史的に偉大な川崎先生を恩師として身近に過ごせた日々は、私の人生の宝物となっている。ご冥福を心よりお祈り申しあげます。

Dr. Kawasaki in photos

2011年5月 イタリア リミニ 皮膚科学会にて
2011年5月 ペルージャにて。小児科医カーラ達と病院勤務医
2010年9月 バイカル湖上。金髪が会長の小児科教授 Bregel L.V.
2011年2月 退職パーティー。川崎先生の話に夫人が訂正と注文。

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