川崎富作先生を偲んで

松裏裕行
Hiroyuki Matsuura

東邦大学医療センター大森病院小児科
教授 
日本川崎病学会 幹事

Department of Pediatrics, Toho University Omori Medical Center
Professor

川崎富作先生がご逝去の報に接してから2ヶ月間はあっという間に過ぎてしまいました。学問に対する真摯な思いと飽くなき探究心にはいつも畏敬の念を抱きつつ、にこやかな笑顔に癒される思いでお姿を拝見しておりました。先生の偉業は今更私ごときが口にするのも僭越ですし、個人的にお話させていただく機会はさほど多くありませんでしたが、川崎先生と私を深く繋いでくださる思い出の先生方が4人いらっしゃいます。

最初のお二人は自衛隊中央病院時代にお世話になった故松見富士夫先生と愛弟子の故上野忠彦先生です。私の学生時代の小児科の教科書には「川崎病の原因は未だ不明だが、溶連菌の毒素が原因との説(上野・松見説)がある」と1行書かれていました。松見先生は元自衛隊中央病院長で優しく、にこにこと笑顔が絶えない姿とともに、思わず背筋を伸ばしたくなるような小児科学と医学研究に真っ向から向かうお姿は、川崎先生と重なるものがあると密かに拝見していました。故上野忠彦先生は、私がお会いした頃は既に瀬戸内海の離島で開業なさっていましたが、開業後に川崎病溶連菌説の論拠となった数々の論文をまとめた「川崎病と溶連菌」という論文集をご本人から頂戴しました。その最終章には「・・川崎病も(中略)多形滲出性紅斑症候群か新しい独立疾患かといった川崎博士と松見博士の(中略)激論に学会が二分された云々・・」と記載されています。この論文集は川崎病にまつわる私の宝物です。

そして残りのお二人は、私が東邦大学に転身後に文字通り一から小児循環器科医としてのご指導をいただいた故松尾準雄先生と故佐地勉先生です。私が準備委員長を仰せ使った「松尾教授退任祝賀会」の記念講演を川崎先生にお願いした際には、予定時間を遥かに越す熱の篭ったお話にパーティ会場でヤキモキした思い出もあります。川崎先生の飲み友達であった松尾先生は「富さん、富さん」と親しげに呼びかけていらっしゃったことが記憶に残っています。佐地先生は、若い先生方もご存知の通り川崎先生・松尾先生お二方から一目も二目も置かれた偉大な先生で、30代前半の頃から長く川崎先生に師事され京都での第10回IKDSを主宰されるなど当学会の発展のために多大な貢献をされました。佐地先生が他界された今、川崎先生とのツーショットを投稿される方はいらっしゃらないのではないかと愚考し、第10回IKDSの時の写真を佐地先生のご遺族の了承を得てアップさせていただきます。

今こうして振り返ると、私は小児科医として川崎先生から直接・間接にご指導と薫陶を賜っていたと改めて感謝申しあげるとともに、訃報に胸が熱くなる思いです。川崎先生、ありがとうございました。どうか安らかにお休みください。

Dr. Kawasaki in photos

By courtesy of Dr. Saji’s family

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