瞼に焼き付く臨床家としての優しく厳しい目

小川俊一
Shunichi Ogawa

すばる子どもクリニック
院長
日本川崎病学会 顧問

Subaru Children's Clinic
Director

今から40数年前、当時大学6年生であった私は、将来小児科医になりたいとの希望を持っておりました。丁度、同じベクトルを持つ友人と2人で夏休み期間中に日赤医療センターの小児科で1週間の予定で臨床研修をさせて頂きました。

ある日の夕方、すでに当直帯に入っていたと思いますが、その日の当直医であった川崎先生より救急外来にすぐ来るようにとの連絡を頂きました。早速2人で外来に参りますと、そこにはお母さんに抱っこされた確か1歳前後の乳児がお母さんにしがみつきながら苦しそうにしておりました。顔を真っ赤にして息をつく暇がないくらいコンコンコンコンと立て続けに咳をした後にやっとヒューという音ともに息が吸える状態で、それが繰り返されていました。川崎先生は慈愛に満ちたまなざしで苦しそうにしている患者さんを丁寧に診察された後、患者さんとお母さんに向かって「ちょっとすみません」と断わってから私共に「いいですか、この短い間隔で連続的に出る咳をstaccato、咳の後の吸気時に聞こえる笛の様なヒューという音がwhoop、ドイツ語ではrepriseと言って百日咳の痙咳期に良く認められる症状ですね。とても大切な症状だからよく覚えておくことですね。」と諭すように教えてくださいました。ただし、眼鏡の奥の目は患者さんに向けられた優しさに満ちたものではなく、臨床家の鋭く厳しい目でした。この患者さんのその後の経過は記憶にありませんが、この時の私共に向けられた川崎先生の鋭く厳しい目は40年以上経過した今でも瞼に焼き付いております。

患者さんに対する優しさに満ちた眦と病に対する鋭く厳しい目が世界に冠たる川崎病を世に送り出した源であると今も確信しております。

川崎先生のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

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